すべての時間、すべてのパラレルが同時に存在すると言われます。
どこに存在するのでしょうか。
それはソースです。
それを認識するのは誰でしょうか。
意識です。
認識力を得る前のソースはエネルギーや愛そのものです。
最初の分離によって認識力を得たとき、それはエネルギーかつ意識となります。
そこにすべてがあります。
つまりあなたの意識の中にすべてがあります。
どのようにすべてが存在するのでしょうか。
これを砂のたとえを用いてお話します。
見渡す限り砂があります。どの砂も、これ以上小さくできないというくらい小さな粒子です。
そこは真っ平らで、デコボコも偏りもありません。
フラットです。
視界には砂しかないので、何も存在しないように見えます。
しかしそこに風が吹いてきて、砂が動き始めました。
そして平らだった砂に起伏ができ、何かのかたちになりました。
それを見たあなたは、「鬼だ」と思いました。
そして恐怖を感じました。
あなたは鬼を消して、猫を描きました。
そしてその絵と同調し、家猫のようなのんびりした気分になりました。
あるいは、その近くに子犬のようなかたちがあったので、あなたは視点をそこに移して、楽しい気分になりました。
あるいは、最初は鬼に見えたそのかたちは、よく見ると羊のようにも見えます。
鬼ではなく羊だと気づいたあなたは安心しました。
やがていろんなかたちがそこここに浮かび上がり、視界が複雑になってきました。
岩のように固くこわばってしまった塊もあります。
あまりに複雑になったので、あなたはそれらを一掃することにしました。
するとあなたの心に静寂が訪れました。
「すべてがある」とは、このようにどんな形にでもなれる「砂」の集合ようなもののことです。
実際には、砂のように物質として存在するわけではありません。
つまりそれが意識です。
意識には時間も限界もないので、鬼や猫や子犬や羊といったかたちを、無限に、同時に存在させることができます。
どのように意味づけすることも可能です。
と同時にすべてを消滅させることができます。
すべてが在るとはそういうことです。
「無」を含めて「在り」ます。