我が両目からは逃れられぬ・・・今川義元の教育係兼、軍事・外交・内政全般の師:
太原雪斎。
臨済寺の区画「雪斎」の地に住んでいたことに伴う通称であり、名を
崇孚(そうふ または すうふ)という。
元は臨済宗の僧侶であったが、今川家当主を継ぐ席次から遠かった今川義元が仏門に入り
義元の教育係として雪斎が指名された。
今川家の家督相続に関して、嫡男であった氏輝が急逝。さらにその弟も急逝したことで事態は急変する。
義元こそ次代の当主に相応しいと担ぎ、同じく当主候補であった玄広恵探を攻めて自害に追い込んだ。義元が今川家当主となった後は対外勢力との友好関係を作るべく
武田家当主信虎の娘(定恵院)を義元の妻として嫁がせて武田家とのパイプを作り
定恵院が亡くなった後は義元の娘である嶺松院を武田家嫡男の武田義信に嫁がせ
さらには北条家から瑞渓院を義元の嫡男である氏真の妻とすることで
婚姻関係による外交戦略を展開。
長く争っていた三勢力はこの婚姻関係の後押しもあって
三国同盟(甲相駿三国同盟)を果たした。
この成立を見届けた翌年の1555年、60歳にて死去。
三国同盟成立後から6年。領地基盤を磐石なものとした義元は上洛を開始。
1560年桶狭間。太原雪斎が存命であれば、この地での大盤狂わせは発生しなかったであろうと言われている。
英傑大戦では諸葛亮が初の知力12になると思われていたが
ver1.5現在、
諸葛亮を上回る知力(ゲーム内最高知力12)の英傑大戦オリジナルカードは太原雪斎のみ。諸葛亮・司馬懿・竹中半兵衛という名立たる面々が知力11であるなか、彼らを上回る知恵者として評価されている。
李牧級の頭脳(知力12)と表現すると急に無能そうに見えるんだよね。酷くない?
長兄の英傑大戦:
mylist/73130055