源氏の軍星はここに在り!者ども、いざ突き進め!!朝廷の障害となるものを排除する武将集団、河内源氏:源為義の八男、
源為朝。
頑強な体格と粗暴な性格で、若き頃から喧嘩や傷害事件を頻発する暴れ者だった。
あまりの狼藉に困った為義は、為朝を九州へ追放したが
今度は九州へ派遣された国司であると
「鎮西八郎」(九州平定を任ぜられた八男坊)を自称。
数十回の戦を行って九州をほぼ支配下とするが、地元民は朝廷へこれを直訴。
為義はその責任を問われ解任にまで追い込まれてしまった。
保元の乱では父:為義側に付き、平清盛・源義朝連合軍と対立。
決戦においては夜討ちを仕掛けるべきと提案するも、卑怯であると拒否され
逆に相手側が夜討ちを仕掛けてきたことによって一気に劣勢に。保元の乱の趨勢は決まった。
父:為義は斬首。
為朝は伊豆大島への流罪にまで許されたが、あまりに強いので腕の腱を切断された。
しかし今度は伊豆諸島の平定に動き出したので、朝廷から討伐軍が派遣され、もはやここまでと自害したという。
源平伝説通しての最強の男と名高い人物であり、伝説的なエピソードの枚挙に暇がない。
・九州で暴れたので朝廷から帰還命令が出るも無視。しかし、父:為義が解任されたと聞くとすぐに戻った
・保元の乱では義朝に「兄に逆らう不埒者」と言われるも「では父に逆らってる兄上は何なのか?」と反論
・保元の乱で義朝を討ち取る機会は何度もあったが、兄は殺せぬとわざと見逃すことを繰り返す
・五人張の強弓も、腕の腱を切られたので二度と弓がひけない・・と思いきや三人張の弓に変わっただけ
・朝廷からの討伐軍数百人が乗った船を、弓の一撃で轟沈させた
・後の英雄:源義経は八男であったものの、叔父の為朝に配慮して八郎の1つ下「九郎」を名乗った
粗暴な豪傑としての印象もあるのだが、家族愛を感じられる人間味のある行動もしているのが
今日の為朝の印象を形作っている。
長兄の英傑大戦:
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