三作目です。半日で作りました。
きっと神はいないだろう。
もしいるとするならば、シロコという存在が説明つかない。なぜ神が自身よりも全知全能なる存在を創らなければならないのだろうか。もし神がいるならば、それは天地を創造するための機関、すなわち単なる自然の一部であり、私たちの考えるような神ではないだろう。
ここで、近年のシロコ学界で唱えられる「シロコが神なのではないか」という説について論じたい。
この説の主な根拠は、シロコという名はサハラ砂漠(21世紀までにおけるタタラ緑化地帯の呼び名)から地中海にわたる南東風をあらわす「シロッコ」が転じたもので、シロコの存在はエジプト神話における神、アヌビス(シロコは韓国語圏ではシロコ・アヌビスと表記される)又はセト(砂嵐を司る)が転じたものであるというものだ。
このような根拠がありながらこの説が広まらないのは、ひとえに「こんなやつが神であってたまるか」という学界の皆様の総意によるものである。
ここで注目したいのは、シロコを崇拝するものたちの間でたびたび唱えられる「アッチム、イテ、ホイ」という典礼文である。シロコの源流がエジプト神話であることからこれはエジプト語だと考えられる。
エジプト語であり、典礼文として用いられた。これを聞いてピンとくる人もいるのではないだろうか。
そう、コプト正教会である。コプト正教会では典礼言語としてコプト語を用いる。
コプト語はエジプト語派に属する言語で、エジプト語の一種と考えても問題ない。簡単に説明すると母音のあるエジプト語で、東ローマ帝国の統治下にあったエジプトで生まれた、ギリシア語に影響を受けた言語である。つまりシロコ信仰の場はエジプトからキリスト教へと移ったのだ。
そして、「アッチム、イテ、ホイ」という典礼文を思い出してほしい。
ここでエジプト語は語順がVSO型であると間違えてはならない。コプト語はギリシア語の影響を受けているから、SVO型なのである。また、コプト語は3世紀から生まれ、典礼言語としては17世紀まで用いられた。よってコプト語の参考となったのは現代ギリシア語であり、古代ギリシア語のような複雑な文体系を考える必要はない。よって「アッチム、イテ、ホイ」の「イテ」は動詞にあたるわけだが、典礼で「イテ」といえば、もうお分かりだろう。キリスト教における終祭誦、「Ite,missa est」である。これはコプト式典礼において用いられ、コプト語はその3分の1の語彙をギリシア文化から借用しているため、確かであろう。(中略)
したがってシロコとはエジプト神話からキリスト教へと信仰の場が移った、極めて不安定な存在であり、これが神であるかを議論するのは全くの無駄であると考える。 ーー「シロコという存在」(3891)より抜粋