俺の治世に不要なものは、残らず滅ぼせ!魏武帝:曹操の跡を継ぎ、
魏文帝と称された魏国の初代皇帝:
曹丕。字は
子桓。
元は庶子であり三男であった為に曹操の跡を継ぐ席次ではなかったが
長兄:曹昂が宛城の戦いで討ち取られ、次男の曹鑠(しゃく)が病死した為に嫡子となり
曹操が死去したことでその跡取りとなった。曹操の時代は後漢皇帝であった献帝を擁立するという姿勢で立てていたものの
曹丕の代に移ってからは後漢を担ぐことはせずに献帝を退位させて自身が皇帝となり魏王朝を立てた。(これにより後漢は名実ともに滅亡となった)
以後、三国時代となり呉蜀との戦いが苛烈を極めることとなるが、武帝と称された父とは違い、
戦での目立った戦績はない。
文帝の異名の通り内政統治に注力し、
九品官人法(※)と呼ばれる新たな採用制度を取り決めた。
しかしこれは後に腐敗を招くこととなり、さらに司馬懿を重用したことは後に曹魏政権の崩壊を招く結果となってしまう。
(※九品官人法が三国志大戦におけるランクである「品」の元ネタとなる制度である)さらに
曹丕が満を持して放った大軍は呉国に散々な目に合わされての敗退を連発。
勝利しての領地獲得が無ければ国力の空費でしかないこれらの遠征は魏の弱体に繋がった。
さらに在位期間は6年に満たずに死去した為に、魏国の崩壊をさらに助長する結果となり
現代の評価でも残念ながら明君と判断する説者はあまり存在しない。長兄の英傑大戦:
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