俺は手加減ができない男だぞ、いいかぁ?長州藩士:佐世家嫡男にして尊皇攘夷派志士:
前原一誠。(前原姓は後に改姓したもの)
23歳の時に吉田松陰の
松下村塾に入塾。
久坂玄瑞や高杉晋作といった名立たる面々と肩を並べた。
松陰曰く
「勇あり、智あり。誠実人に過ぐ」と評価され
「その才は久坂に及ばず、その識は高杉に及ばず、されど総合力では二人とも前原に及ばない」と称された。
藩内の派閥が分かれた際は高杉晋作らと共に正義派に所属。
第二次長州征討、続く戊辰戦争では北越軍参謀として活躍し、明治政府の樹立に尽力した。
しかし、前原一誠は長州藩士。つまり
「武士」である。
明治政府が立ち上がった後の政策、四民平等、廃藩置県、廃刀令、版籍奉還、秩禄処分etc・・・
どれもこれもが
武士の特権を奪う政策ばかりが謳われ制定されていく情勢を前にして
前原は政府と袂を分かち、故郷である萩に戻った。この頃、不平士族の決起が各地で勃発しており
それらに呼応する形で
前原一派も決起。
殉国軍を自称して武力蜂起を開始するも総兵力は200~300と僅か。
さらに予め
萩に不穏の動きありと行動を読んでいた木戸孝允(桂小五郎)の手配が早く
1週間余りで完全に鎮圧。その他首謀者と共に
前原一誠は斬首された。
(萩の乱)長兄の英傑大戦:
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