影など踏んでも意味はない・・その面頬を踏んでくれよう!平安時代中期、摂関政治の最盛期を築き権力を掌握した男:
藤原道長。
(平安時代で教科書にも名前が出てくるレベルの人物だが、レアリティは下から2番目)
古くからの名家/貴族である藤原家の者ではあったものの道長は五男。
本来、権力の掌握からは遠い席次であったものの兄たちの病死が相次いだことで主導権を得た。(貴族は見た目重視で栄養の伴わない食事が多く、飲酒も多かったので若死が非常に多い)
自身の娘を天皇陛下の后にし、さらにその子が天皇になり、天皇の外祖父となることで
一気に権力集中を完成させた。(このやり方は後の平清盛も模倣している)平安時代後期に「武士」が政権を奪取するまでの間は藤原氏による摂関政治によって
京ひいては日本の治世が行われていたといってもよく、藤原家の全盛を築いた。
摂政に就いた後にすぐ実子に譲り出家。
仏教を厚く信仰していたために法成寺(通称:京極御堂)を建立したことから
御堂関白の異名を取る。
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」天下のすべてを握った道長が詠んだ唄。ありとあらゆる権力を握った自身の人生の栄華さを
満月のように満ち足りた状態であると表現したものであり
イラストにも月の模様が映っているが、むしろ欠けてる部分の方が多いまであることに笑ってるのは俺なんだよね。
長兄の英傑大戦:
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