後世の評価など知るものかぁ!今に応ずるのみだ!!時は幕末。
坂本龍馬の師にして
海軍操練所の創設者。
幕末三舟の一角:
勝海舟。字は
義邦。幼名・通称を
麟太郎という。
生まれは旗本であるもののその中では高い身分では無かった。
しかし、その能力が評価されて出世を重ねて
幕府軍艦奉行並(幕府海軍の統括長)にまで出世する。
海軍強化の任を受けた海舟は海軍操練所を創設。坂本龍馬を門下として交流を深めたが
幕府側である海舟が攘夷派との交流を行ったことを咎められて免職。
後に戊辰戦争が発生した際には
抗戦派を抑えて江戸城無血開城に尽力して市民への戦火の拡大を防いだ。新政府樹立後も旧幕臣として参加を要請されていたが、最前線からはやや一歩引いて相談役としてのポジションを取り
旧幕臣の生活補助(※)や、西南戦争後は無血開城の件で世話となった西郷隆盛の名誉回復に努めた。※ちなみにこの勝海舟による旧幕臣の生活補助の一環で大御所:徳川家康由来の地である駿府周辺で
旧幕臣に茶畑農業を斡旋したことが、今日での静岡県がお茶で有名になっている由来である。
隠居後、十分に天寿を生きた後に脳溢血により倒れて76歳でこの世を去る。
最後の言葉として
「コレデオシマイ」と発した。突然の人生の終幕に直面したわけだが
自分の人生すら一種の劇場を見ているかのような客観的思考で捉えていた海舟の人生観を表す言葉である。
これは英傑大戦でも撤退時の台詞になっている。
長兄の英傑大戦:
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