岩切の刃で、千切ってくれよう!藤原道長の家臣にして、道長四天王の一人:
藤原保昌。
平安時代中期の貴族にして
武芸と風流の双方に通じた文武両道の人であり
後に加賀藩での藩士武道教育にも残る
興神流居合術流派を創始。その武勇を以って
「勇士武略の長」と称されるが、
「花盗人」の名でも知られる。
ある時、思いを馳せた
和泉式部から求婚の試練として紫宸殿前の梅一振りを所望される。紫宸殿とは天皇の御座所。恐れ多くもその庭にある梅を持って来ることとなったが
警護兵が見回る中に侵入して梅を手折ったものの脱出の際に見つかり矢を射掛けられたという。
何とか身元不明の状態で逃げのびた
保昌は見事、和泉式部の夫となった。また、同じく藤原道長家臣:
源頼光が大江山の鬼討伐の任を受けた際にこれに同行。
元は小長刀(こなぎなた)であった名刀
「岩切」を打ち直して小刀に変えて
笈(※)に隠して持ち運び
毒酒によって身動きの取れなくなった酒呑童子一味を見事討ち取った。
その後、
当時としては異例の長寿である79歳もの天寿を全うしてこの世を去った。
※笈(おい):僧侶が旅をする際などに使用する荷物入れ。竹製・木製であるものが多く
現代で言うところのリュックサックのような道具。長兄の英傑大戦:
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