源氏の旗に集いし武者たちよ!我らの力を示す時は来たッ!!河内源氏六代目棟梁:源義朝。その三男:
源頼朝。幼名:
鬼武者。
母は義朝の正室:由良御前。源平合戦の英雄:源義経は彼の異母弟にあたる。
源義朝と由良御前の間に生まれ、兄が二人(義平・朝長)いるものの
貴族出身の正室の男児であった為に最有力世継ぎ候補として英才教育を施された。
後に平治の乱で父:義朝が朝敵として討たれ、さらに自身の兄2人も討たれた為に名実ともに嫡男格となった。
平清盛はこの河内源氏の次期棟梁になるであろう男児に、可能な限りの慈悲を与えて伊豆への流刑とした。
伊豆へ流されて20年後、「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
これに呼応して
父:義朝の時代から配下に置いた坂東鎌倉周辺の豪族武者に決起を呼びかけた。
さらにここで源氏に朗報が入る。「
平家の総大将たる平清盛が病死した」と。
最高権力者の病没の混乱の中で
源義仲(木曽義仲)が平家を京から追い出すことに成功するも
頼朝との敵対者を庇護した為に対立。
頼朝は従兄弟でもある義仲を軍勢を以って討ち取った。
さらに平家追討を行い、最後は壇ノ浦にて義経・範頼軍が平家を滅ぼした。
それから源氏の世になり、1185年幕府を設立後も頼朝は義仲への処遇同様に同族への警戒を怠らず
壇ノ浦の英雄であった義経・範頼に謀反の疑いを掛けて誅殺。
1192年に征夷大将軍に就任し、封建制度を作り出して武家による統治を行えるようにしてからこの世を去ったが
独裁を防ぐ目的で設立された
13人の合議制(鎌倉殿の13人)によって将軍の実権はその後無くなった。
長兄の英傑大戦:
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