数日前、ある北京市民が四通橋の交差点のそばで写真を撮りました。しかし、その日一つ異なっていたのは、青地に白く漢字とピンインで書かれた「四通橋」の道路標識が突然消えていたのです。
中国のネットユーザーは、「六・四天安門事件」34周年が近づく中、当局が人々が象徴的な「四通橋」を天安門事件と関連付けることを恐れ「治安維持」を理由に撤去したものと推測しています。 これは、2022年末の「白紙運動」勃発直後、上海で象徴的な「ウルムチ中路」の街路標識が撤去されたのと似ています。
1980年代初頭、民主化運動家であった萬潤南氏は「四通公司」を設立し、まもなく有名な民間企業となりました。 その後、北京の都市交通の変革期に、同社は「四通橋」の建設に資金を提供しましたが、萬氏は1989年の学生運動への支持を理由に、フランスへの亡命を余儀なくされました。
萬氏はインタビューで、「四通橋」という名前には「六・四学生運動」や「四通橋抗議運動」などの重要な歴史が込められており、そのため中国共産党は非常に愚かで粗野な方法で歴史を消し去ろうとしていると述べました。