この大史慈、確かに約束を守ったぞぉぉぉ!!東萊郡の黄県官吏:
太史慈。字は
子義。弓の名手として名を馳せており、北海国相:孔融は太史家に度々贈り物を送っていたが
黄巾の乱発生後に孔融は黄巾軍に包囲され窮地に陥った。
太史慈は周辺諸侯に援軍を嘆願して孔融を救い、
恩義に必ず報いる男として一層名を馳せた。
時が経ち、揚州刺史の劉ヨウとのお目通りの機会が舞い降りたが
ちょうどその時、破竹の勢いで勢力を伸ばしつつあった
孫策軍が襲来。
これに対して斥候として偵察に向かった太史慈は相手側の総大将たる孫策と遭遇。
二人は正面から打ち合ったが決着は付かず、双方の兵が接近した為に勝負は水入りとなった。
(これは三国志演義で大量に追加された物語を盛り上げるためのフィクションとしての
一騎打ちではなく
三国志正史の方に記載されている数少ない正真正銘の一騎打ちである)
その後、劉ヨウが破れ、山中に逃げ延びた太史慈は孫策に捕らえられたが
孫策は彼の武勇を買って武官:
折衝中郎将に任命した。
さらに時が流れ、劉ヨウの死後、太史慈は以下のように孫策に進言した。
「劉ヨウの配下と民衆が行くあてが無いだろうから孫策軍の増強を兼ねて集めて戻ってくる」と。
これを聞いた孫策は太史慈を向かわせたが、孫家家中では疑惑が広まった。
「太史慈はこのまま帰ってこない」「軍を編成して攻めて来るのでは?」と誰も信じてはいなかったが
ただ一人、孫策だけは彼を信じて送り出し、結果、太史慈は約束通り兵と民衆を連れて戻ってきたという。
その後、劉表軍の侵攻を食い止め、黄祖討伐に活躍と武官として目覚しい活躍を見せたが
赤壁の戦いの2年前に惜しまれつつも死去した。
ちなみに三国志演義では赤壁の戦い後も存命しているが
合肥の戦いで三国無双の名を意のままにするほどの活躍をした張遼の引き立て役になって死亡している。
長兄の英傑大戦:
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