能勢頼次の日乾上人への帰依 ー 眞如寺の始まり
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https://www.ichizenn.com/omikuji/index.htmlムスカ 大佐 名言
https://www.ichizenn.com/content-60-2014-1.html能勢頼次が秀吉軍に攻められ落ち延びて19年、備前の妙勝寺で「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて能勢氏再興を願い、それが実現したことで仏への感謝の念が大きくふくらみ、もっと法華経の信仰を深めたいという想いにかられ、日乾上人の説法を聞くことになります。日乾上人という人は、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の法主(ほっす=住職)になられた高徳の僧で、その法話を聞き感動した頼次は、即座に日乾上人に帰依(自分の身も心もすべてを捧げて信じること)します。そして広大な山屋敷を寄進し、ここに住んでさらに教えを説いて欲しいと願い出たことが眞如寺の始まりです。
そして天正10年(1582)本能寺の変が起こります。能勢頼次は隣接する亀岡の明智光秀と以前から親しくしており、また信長によって兄が謀殺された経緯もあって、明智光秀に味方して兵500人を出しますが、結果は明智は秀吉に敗れてしまいます。秀吉軍はさらに能勢にも攻め込み、神社仏閣に至るまでことごとく焼き払い、このとき頼次は打って出ていさぎよく戦いの花と散ろうと決心しますが、老臣たちに諭されて、数名の家来を連れて備前の国岡山の城下へ落ち延びていきます。