わちきから目を逸らさないでおくんなまし!江戸幕府公認の遊郭(風俗街):
吉原。
関東が政権の中心となったのは鎌倉幕府以来の400年ぶりのことであり
江戸には多くの浪人・大工といった男衆が集まって町を形成していた。
(明暦の大火と呼ばれる大火事後、復旧工事のためにさらに男性比率が高くなる)
江戸人口の2/3が男性となり、妻を持たない独身男性が多くなったことから
遊郭吉原の発展に繋がっていった。
その吉原で最も有名な遊女に当てられた3大名称がある。
吉野太夫・夕霧太夫、そして
高尾太夫。
その名に相応しい女性が現れた際に自然と付けられる呼称である。
第6代:高尾太夫こと
榊原高尾。
姫路藩の
榊原政岑(さかきばら/まさみね)に寵愛されて
2000両前後(現在価値にして約2億円)も出して身請けされるほどの
美貌と魅力を持った女性とされ、姫路城内の屋敷に住むことを許された。
しかし、時の将軍であった第8代将軍:徳川吉宗の発布した質素倹約令によって
政岑の遊女巡りが倹約令違反ひいては享保の改革への反発と見做されてしまう。
何とか改易は免れるものの強制隠居のうえで蟄居処分(※)。
さらには僻地越後への転封処分まで受ける。
高尾太夫も政岑に付き添い、政岑も転封先で心機一転 藩政改革に努めるが
僅か2年で病死。
高尾太夫は剃髪して蓮昌院と改め菩提を弔った。
※蟄居(ちっきょ)
簡単に言うと自室から出てくるのを禁じる・・というものだが
最悪そのまま永久に解かれない場合もあり、そうなると実質終身刑である。
外に出ていることがバレると改易(御家ごと武士身分剥奪)などに処される。
やっぱし怖いスね武士文化は・・・長兄の英傑大戦:
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