父上、我ら平氏は朝廷をお護りする家です。お目覚め下さい!
我ら平氏が敵を平らげる!史上初の武家政治を作り出した平清盛。その長男:
平重盛。
清盛と清盛の最初の妻との間に出来た長子であり保元の乱/平治の乱に従軍し武功を上げた。
特に平治の乱では、源義朝の長男である義平軍と交戦。
※清盛vs義朝の互いの長男である重盛vs義平の状態。敵軍側に義平がいる場合は開幕特殊台詞となる
また、その際の特殊台詞は平治の乱で義朝軍の鎮圧にあたっての史書での発言
「年号は平治、都は平安、我らは平氏、ならば敵を平らげよう!」を元としており
本文冒頭の計略台詞(「平」氏が「平」げる)もセガが勝手にダジャレを言わせてるわけではない。重盛は、清盛の長男(=嫡男)として本来はその跡目を継ぐ最有力者である人物である。
しかし、母方の家格がそれほど高くはなく、それに引きずられる形で冷遇。
そんな肩身の狭さでも
清盛-朝廷間の仲の取り持ちに心を擦り減らしていたが
自身と親密であった朝廷との取り次ぎ役が打倒平氏の首謀者であった事件
(鹿ケ谷の陰謀)が発生し
平家一門内での立場が完全に無くなってしまう悲劇に陥ってしまう。
こうした心労が重なり、
重盛は清盛よりも先に病死してしまう。
その後、清盛は完全に暴走状態に陥り、朝廷から政治の実権を奪い取る「治承三年の政変」が発生。
これらの朝廷を蔑ろにした平氏の横暴は、後の平氏打倒の号令「以仁王の令旨」に繋がっていく。
・・・重盛という朝廷との調整役を失ったことが、平家滅亡の始まりとなったのである。
長兄の英傑大戦:
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