彼らのような存在がいることを認知してしておくことは、
イスラエル・パレスチナ情勢を考える点でとても重要なことであると思い投稿します。
イスラエル人をそう呼ばずユダヤ人と呼ぶ、ユダヤ教徒をユダヤ人と呼ぶ
日本における歴史的呼称は「適格ではない」と思うわけです。矛盾点の一つです。
別にユダヤ教徒に限らずとも様々な宗教において戒律が守られているとはいえない。
イスラム教では豚肉を食する事を禁じるとある。守ろうとすれば出来ないこともないでしょう。
「乳製品と肉料理を同時に食べたりすることも戒律で禁じられている」為、
守るためのルールが多すぎて「複雑すぎる」というのが私の感想です。
日本にあるイスラム教のモスクは見学に行きましたが、ユダヤ教のシナゴーグに対しては
見学もできません。手順がわかっていないだけなのかもしれませんが。
戒律であれ法律であれ「解釈の余地が本当にある」のであればそれは欠陥であると思います。
日本においては私は法治国家であるだなんて思っていません。解釈のうち多数の屁理屈がある。
言論の自由の侵害、私有財産権の侵害、憲法もあらゆる側面から意味がない。
同じ事だと思っています。