楠木正成の嫡孫・楠木正勝が開いた広澤山耕山寺へお参り、ご住職からお話をお伺いする事ができた。
国見山の南麓、瑞竜山の西山麓にある。
瑞龍山東山麓には、楠公精神を厚く崇敬、景仰し、湊川の殉節地の「嗚呼忠臣楠子之墓」墓碑建碑に始まる「水戸学」を全国の憂国の志士に興隆させた水戸徳川家の墓所がある。
曹洞宗で広澤(こうたく)山と号する。
本尊は聖観世音菩薩。
寛文三年(1663)の開基帳(彰考館蔵)によると、越後耕雲寺の末寺で、朱印地60石を有し、元は新宿(あらじゆく)村の山吹という地にあった。
楠木正成が湊川の戦いで殉節後、その後を継いで長男・楠木正行が楠木家の棟梁となるも四條畷の戦いで弟・正時と差し違えて殉節。
その後は、三男の正儀が家督を継ぎ、以後、正儀流が楠木家嫡流となった。
その楠木家嫡流の祖ともいえる正儀の嫡男・楠木小太郎正勝は、24歳の時、戦で負った足の怪我をきっかけに仏門に入り「傑堂能勝」と称し、全国を行脚し一六ヵ寺を創建した。
耕山寺もその一つで、佐竹義仁が施主となって庇護した。
佐竹家は楠木家を重んじ、自領内にも関わらず、楠木家の家紋・菊水の使用を耕山寺に促し、現在に至るまで菊水紋が寺紋として継承されている。
佐竹氏が去った後、この地を治めた水戸徳川家は、楠木氏ゆかりの耕山寺と同じ瑞龍山を墓所に選び、楠木氏ゆかりの霊地を墓所と定めた。
水戸徳川家がどれほど楠氏を崇めたのか、非常に窺われる事蹟である。
神社本庁所属神主・楠公研究会代表理事・表千家茶道教授者・池坊教授・作家
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