無色透明祭2の応募曲です。
★説明文、是非読んで欲しいです!
この曲の感じ方が変わると思うので…!
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まずは…
無色透明祭で、本当に透明になってしまった者です。
応募時の自身の不備で無音の投稿となり、中々悔しい思いをしました…。
皆さん、時間には余裕を持って応募しましょう…。
さてさて。
終わったことは置いといて(めっちゃ反省中)、
少し曲の説明をさせてください!
まず題名の「海淵」は、「開演」と掛けています。
共通点は読み方…だけでは無いんです。
前提としてこの曲は「いじめ」の題材を、“僕”に沿って描いています。
では海淵、開演視点で、
それぞれ説明していきます。
〇「海淵」視点
“僕”は、曲の序盤から分かるように、今まさに波打ち際に立ち、寄せては返す波を眺めています。
曲が進むにつれて、「波間の向こう」「片っぽの靴」「崩れた足跡」…。
→終盤では、「浮きつ、沈みつ、溺れていて」
「差し込む光も届かない」
「深海(トコヨ)に沈みながら」…。
どんどん「海淵」に、
心も、体も沈んでいきます。
つまり、彼は─────。
〇「開演」視点
そんな“僕”は、「いじめ」を『劇』に準えています。
主演である僕。
戯言を吐く人々は客。
美辞麗句は、助演。
客は、別に主演に興味がある訳では無いんです。
ただ誰かが悪く言うから、
面白がって乗っかって、その輪が広がって。
別に僕が何かした訳でもないのに、
「誰かが、皆がそう言ってるから」なんて理由で、心無い言葉をぶつけ、噂話は徐々に捏造され、肥大化し。
いつしか客席(=僕の我慢の範囲)を埋めるほどの戯言を言う人で溢れて。
こんな状況で、「いじめはいけない」なんて言葉は美辞麗句でしかなくて。
言い方を変えれば、
「僕にそっと寄り添うのは、美辞麗句だった」
とも言えますかね。
「開演」は、そんな僕に対する劇が始まってしまったことを意味します。
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うーん…分かりにくかったですかね、?
長文になってしまい申し訳ない…
この曲の世界観、ニュアンスだけでも伝われば嬉しいです…!
少しでもこの曲の感じ方が変わったら、イイネやコメントよろしくお願いしますm(_ _)m