日本に着いた。
成田空港から東京へ向かう列車内はどんよりとしており、周囲の人々は皆、疲れ切っているように見えた。これはジャマイカのバス内の雰囲気とは大きく異なっていた。ジャマイカではバスの中でたいていダンスホールレゲエが流れていたが、ここはその対照的な光景だった。
ニューヨークの人々も、親しみやすい人が多かったことを思い出す。その点で、日本人はぐったりしているように見えた。
私はサニーさんと会う約束をしていた。東京のどこかで待ち合わせをする予定だったが、具体的な場所はほとんど忘れてしまっていた。それでも、サニーさんやアイナ、ジャーゴンさん、サニーさんの妹さんを含む多くの人々が集まってくれた。
私は東京特有の路上で、ビールケースを椅子に見立てた居酒屋で、目を輝かせながらジャマイカの話をした。酔っ払っていたが、サニーさんやジャーゴンさんも喜んでくれていたようだが、その話の詳細は覚えていない。
そして、ジャマイカから帰国した私は、路地裏で立ち小便をしてしまった。みんな、私がジャマイカで何を学んでいたのだろうと疑問に思ったかもしれない。ここは日本だ、ジャマイカのやり方は通用しない。みんな心の中ではそう思っていただろうが、その時ばかりはジャマイカのバイブスに満ちた私を歓迎してくれた。それはリスペクトだった。
そう、大切なのは何を学び、どこでどう活かすかだ。残念ながら、私はレゲエ的な意味でそれを活かすことはできなかった。
その後、石川県に戻った。良い思い出だけが残った。
仕方がない、しかし、それが夢だったので、それで良しとする。
私は成人式の際、あまり友達がいないと感じていた。完全にではないが、これが私の居場所でないと思っていた。そして、ドレッドヘアのジャマイカ人の友達を作り、誰かに自慢してやろうと夢見ていた。
それを実現できた。それだけで、私のジャマイカ留学は大成功だったと言ってもいいだろう。
終わり。