山形県から出羽三山、鳥海山を越えて、楠木正勝が開いた寺院・秋田県由利本荘市の高建寺へ。
楠木正成の孫・楠木正勝は、本坊の新潟県村上市の耕雲寺から修験の道を経て山形県由利本荘市に入ったと思われる。
高建寺の創建年には諸説あり、応永元年(1394)とも応永11年(1404)とも応永34年(1427)とも云われる。
開山者は耕雲寺(新潟県村上市)の住職である傑堂能勝禅師。
傑堂能勝禅師は南北朝時代の南朝の有力武将だった楠正成の三男である楠木正儀の長男。
応永元年(1394)に耕雲寺を創建し応永34年(1427)に没している事から高建寺の創建年は応永11年(1404)説が有力とされる。
一方、信州佐久間郡大井郷出身の大井義久が応仁元年(1467)に当地に入封し高建寺を菩提寺とした事から、高建寺を創建したのは大井義久で、2世切叟が開創、傑堂能勝禅師を勧請開山とした為、遡った没年を創建年としたとも。
実際、元々の境内地が大井家の居館である根城館の二の丸付近に境内を構えている事からも義久が開基者だったと推察されます。大井氏の後継である矢島満安が天正年間(1573~1593年)に本城を根城館から新荘館に遷すと、高建寺も館に近い矢島町坂之下に境内が遷され、満安が中興開基者となっている。
寛永16年(1639)の大洪水により境内が大破した事を受け、明暦2年(1656)に矢島城下から見て子吉川を挟んで反対に位置する現地に再興された。
現在の高建寺本堂は元禄7年(1694)に造営され明治に改修したもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、正面軒唐破風、桁行9間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、花頭窓付。
総門は切妻、銅板葺き、一間一戸、薬医門、袖壁潜り戸付き。
山門は安永年間(1772~1781年)に造営されたもので、入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚楼門、上層部には高欄、「嶺松山」の山号額、下層部左右には仁王像安置、楼門建築としては旧矢島町唯一のもので改修をかなり重ねておりかなり古い。
朱色の仁王像は1丈3尺の大きなもので200年以上前のもので京都の仏師が製作したものを運ばせたとされる。
神社本庁所属神主・楠公研究会代表理事・表千家茶道教授者・池坊教授・作家
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