耕雲寺は応永元(1394)年に傑堂能勝禅師が開かれた寺で、傑堂の師の梅山聞本禅師を開祖としています。
能勝は楠正成の孫にあたるといい、正平(1355)10年に楠正儀の次男に生まれ名は正能と伝えられている。
別伝では、傑堂能勝は、康暦元(1379)年には既に仏門に入っており、楠木正勝が能勝であるとも伝わっている。楠木正勝は南北朝時代の武将。正能とも。楠木正成の子楠木正儀の子。北朝、室町幕府に徹底抗戦したが、戦に出て流れ矢を膝にうけ、それがもとで歩行が困難となり、25歳のとき高瀬大雄寺に入って出家、のち越前滝沢寺の梅山聞本のもとで修行を積んだという。
傑堂能勝は応永34(1427)年8月7日に73歳で耕雲寺で亡くなりましたが、その間に寺を離れたことがなく、宗門の学問に打ちこまれ、立派な弟子を数多く育てた。
耕雲寺は越後の曹洞四ヶ道場の筆頭に挙げられ、末寺が80、孫寺以下を合わせると800にも及ぶという名刹です。江戸時代は10万石の大名と同じ格式をもち、代々村上藩主から150石の寺領が寄進されていました。
明治19年12月16日に火災のため全伽藍を焼失、僅かに残った鐘楼が今は山門として往時の名残を残しています。この建物は元禄15(1702)年の建立で、市内では羽黒神社の神明宮に次ぐ古い建物で、平成17(2005)年に村上市指定有形文化財に指定されている。
本尊は釈迦三尊仏で、寺宝として傑堂能勝所持の大般若経1巻などがある。耕雲寺の寺紋は「菊水」である。
神社本庁所属神主・楠公研究会代表理事・表千家茶道教授者・池坊教授・作家
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