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https://youtu.be/IMuLxvESOh8【荒木が首相になった経緯】
この世界の荒木貞夫は第三次日露戦争の結果、駐在武官から外されて左遷されていた。
これはロシア軍陣地に関する情報を得られなかった責任を問われたせいだが、結果としてやべーやつを野に解き放ってしまう。
もはや陸軍に居場所無しと考えた荒木は辞職後、政治活動を開始。
荒木は陸大首席という学識の高さはもちろん、扇動の天才でもあり、彼の右派ポピュリズム的主張は在郷軍人会からの支持を集めた。
特に彼の唱えた「海軍悪玉論」は、第三次日露戦争の陸軍傷痍軍人や戦争遺族から歓迎されることになる。海軍が予算を奪ったから陸軍の近代化が遅れて先の戦争で負けたという主張は、子供でも理解しやすく、かつ宣伝しやすいものだった。
さらに荒木は地主層とのパイプ作りに成功。
彼らは各地方の在郷軍人会幹部でもあるが、実業家重視路線へ舵を切った立憲政友会に反感を覚える保守層でもあった。それ故荒木を「古き良き時代への再生人」として期待を寄せる。
またこの世界では西郷隆盛が薩摩藩士を見捨てて陸軍改革を決意した結果、山縣有朋が何やかんやあって明治前半に失脚。陸軍改革は隆盛が見出し、「陸の山本権兵衛」と言われた桂太郎が成功させるも、「軍令」すら導入できず軍部の力は弱かった。オマケに元老になった桂太郎も1913年には世を去っていた。
桂太郎は山縣の意志を汲みつつ、西郷の考えにも一定の理解を示したため藩閥共を粛清したが、陸軍は予算獲得と国会への影響力増加を目論み、在郷軍人会を通じて荒木を支援する。
かくして荒木は1917年に衆議院議員となり、「皇国党」を結成。
1920年5月の衆議院選挙では大方の予想を覆し、第一党に上り詰めた。伊藤博文が恐れていた事態が現実のものになる。
単独過半数ではないので立憲政友会との連立政権となり、一度は文部大臣として入閣するも、数カ月後に立憲政友会党首かつ首相がテロで死亡。
これにより政友会は後継者争いで統制が取れなくなる。
極めつけに荒木の首相就任を妨害していた元老、西園寺公望が病で倒れる。
元老は事実上彼一人になっていたので、もはや荒木を止められる者は居なくなった。
こうして「日本のブーランジェ将軍」こと、荒木貞夫は首相に就任。彼の過激な言動は世界大戦の一因となる。なお昭和帝は彼の言動にウンザリし、ますます立憲君主制国家を望むようになったとか。