西暦636年7月
ムスリムの主力部隊が、シャラフからカーディシーヤに入り陣を張る。防御を強固にし、川源を確保した。サディ・ブン・アビ・ワッカスは、スワド襲撃の為に部隊を差し向け、ウマル・イブン・ハッターブと継続的に連絡を取り、ムスリムの野営地・カーディシーヤ・マディーナ・ササン朝ペルシア軍が参集している場所の地域間の地理的特徴に関する報告書をハッターブに送付した。この時点でムスリムは騎兵7,000名を含む30,000名を擁していたが、シリアからの派遣部隊と周囲のアラブ同盟国からの援軍により36,000名まで規模を拡大させた。ワッカスは坐骨神経痛を発症し、全身におできが発生していたが、カーディシーヤの旧王宮から戦場を眺め、作戦を指揮した。ワッカスは、ハーリド・イブン・ウルフタを副官に任命し、ウルフタは、ワッカスの伝令に基づいて戦闘を行った。ムスリムは、150m間隔で4個師団に分かれ、後方に独自の騎兵連隊を配置した。ムスリムは、ササン朝ペルシア軍の銀色のヘルメットに似た、金色のヘルメットを被っていた。鎖帷子はヘルメットからの当て物として、また、メイルコイフとして顔・首・頬を保護する為に用いられた。重厚なレザーサンダルを履き、硬い革の鱗や層状の鎧、鎖帷子を身に纏った。歩兵は騎兵よりも重装甲で、柄の長い槍だけで無く、大型木製や枝編み細工の盾も使用された。歩兵の槍の長さは2.5m、騎兵の槍は最大5.5mであった。弓の長さは支柱を外した状態で2m、最大射程は150mであった。ササン朝ペルシア戦線に投入されたムスリムの装備は、東ローマ帝国に配備された部隊と比較して軽装甲であった。
宇宙一元化 公式HP
http://universe-centralization.com/top.html