生きて帰れると思うな!一斉射撃!後漢末期、呉国宿老:
周泰。字は
幼平。
揚州の生まれで、当時は袁術の下で雌伏の時を過ごしていた孫策に仕えていた。
自身を誇示することが少なく慎ましい仕事ぶりと生活を送っており
その誠実な働きが孫策の弟である孫権の目に止まり
是非とも自分の配下として譲ってほしいと孫策に頼み込んだことで孫権配下となった。
(・・とはいえその後も孫策の側近として警護にあたることも多く、孫策が山賊に襲われて
絶体絶命の窮地に陥った際に、身を挺して孫策を守護したことで尚更の信任を得たとされる)
その後も黄祖討伐・赤壁の戦い・濡須口の戦いと武功を重ねて将軍位にまで抜擢。
だが、
己を誇示しない元来の性格から、彼の下に付けられた徐盛や朱然は、周泰を軽んじていた。孫権も周泰のその性格を知っていたので、宴の席にて ある行動 に出た。
孫権は諸将を労って酌をして回り、
周泰の番になった際に上着を脱げと命じたのである。
自慢話を全くしない周泰であったが、
その体は全身傷だらけであり
孫権は「その傷は何処の戦場で受けたものか?」と一つ一つを語らせたうえで
「私がこうして君主足り得ているのは、お前のおかげだ」と感謝の言葉を述べた。これを見た諸将は、今、自分たちを指揮しているのはいくつもの死地を越えた歴戦の将であることと
国や君主に仕える忠義の士は、自身の武功を誇って語るようなことはしないことに気付いた。
自身らの見る目の無さを恥じた諸将らは以後、周泰の指揮下に入って文句無く働いたという。
その後、対蜀・対魏の両方で防衛の第一線を担って睨みを効かせるが、夷陵の戦いの後に病死。
三国志演義では、戦友である甘寧を討ち取った沙摩柯への仇討ちを果たすエピソードが存在している。長兄の英傑大戦:
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