はるかに照らせ 山の端の月!紫式部や清少納言と同じく三十六歌仙の一人に数えられる
共に秀歌撰:百人一首にも彼女の歌が抜擢された平安中期の女流歌人:
和泉式部(いずみの/しきぶ)平安時代の公卿:越前守にして式部丞を務めた大江雅致の娘として誕生し
夫は太皇太后・権大進を務めた和泉守橘道貞であったことから
夫の「和泉」守と父の「式部」丞を合わせて和泉式部の通称となった。
橘道貞と結婚したのも道貞から熱烈な求婚を受けた為であるが
後に
冷泉天皇の第三皇子:為尊親王と熱愛状態となり
さらにはその同母弟である敦道親王からも求愛・・と皇族からもモテモテ状態であった。最後に結婚の申し出があったのは酒呑童子討伐の伝説を持つこととなる
藤原保昌。
和泉式部は保昌の覚悟を推し量るために紫宸殿前の梅一振りを所望した。(紫宸殿とは天皇の御座所。恐れ多くもその庭にある梅を手折って来いと命じた)
保昌は警備兵に射たれながらも見事に梅の枝を折って戻ってきたため二人は終生の夫婦になったという。
和泉式部の歌は「恋し」「恋す」が含まれるものの数が突出しており
数々の恋愛遍歴からも、現代では
恋愛歌人としてのイメージが強く残る人物である。
ちなみに夫の保昌とは
「千切る(恋愛的な意味で"契る"の掛け言葉と思われる)」の台詞揃いがあり
結婚の試練の象徴である梅の枝を持つイラストとなっているほか
百人一首歌人である関係から「首」に「一」の字が描かれているのも特徴。
長兄の英傑大戦:
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