2024年の4月中旬、山形県鶴岡市にある尾浦城址を訪れました。
天文年間(1532年〜1555年)頃に大宝寺氏(武藤氏)によって築かれたと伝わり、
戦国時代に庄内地方で勢力を誇った大宝寺氏(だいほうじし)の居城でした。
城主の大宝寺義氏は上杉謙信や織田信長と誼を通じ、
安東氏や最上氏と争いながら勢力を広げていきますが、
天正11年(1583)、家臣の東禅寺義長(とうぜんじよしなが)の裏切りにあい、
尾浦城を包囲され、城外の高館山で自害しました。
家督を継いだ大宝寺義興も、天正15年(1587)、最上義光に攻められ自害し、
最上氏が支配しました。
江戸時代に入ると一国一城令が出され、尾浦城は廃城となったようです。
標高273mの高館山の東の麓の低山に築かれた山城で、
公園化によって改変されていますが、
曲輪跡と思われる所がよく残っています。
主郭跡からは東の庄内平野を一望でき、土塁跡と思われる所も残っていました。
また、主郭と隠居所跡に堀跡の遺構も確認できました。
雨に降られましたが、
『信長の野望・天翔記』で知って以来の大宝寺氏の居城と思うと、
非常に楽しい散策になりました。
近くの和菓子屋さんで買った『栃もち』も非常においしかったです。
お城→
mylist/37297571