子供の頃、祖母に連れられて石切神社に行った。上り下りの長い坂道、古い薬屋のひなびた看板、漢方薬屋の店にあるお腹を切り取って内臓を露出している人体模型、分厚いガラス瓶に押し込まれているマムシ、私の脳裏に常に神社の薄暗い気配とシンクロしてそれらのイメージが出てくる。今になり稲荷山や貴船・鞍馬、または恐山のお山巡りをして写真の題材を集めているのは、日本人の土着信仰すなわち毛穴の一つ一つに染込んでいる生活風俗の中に私自身の遠い家族との記憶(家族は短命で既に他界した)の残像を心奥に追い求めているからであろう。