享保時代(1716年~1736年)の頃、この付近に「萬さん」と呼ばれる酒造を営む裕福な御仁が住んでいた。さすが裕福な御仁、ある時上方(京都方面ですな)に見学に出かけたそうだ。その際、河内の国(大阪府)にあった「野田の藤」の種を持ち帰り、自宅に植えることにした。数十年後には、先述のように4尺もある花を咲かせるようになると、噂は広がり満開の時期には見物人や酒宴を催す人々で大変賑わうことになった。しかしそんな満開の時期、泥酔した武士が抜刀して大暴れするという事件が発生。これには萬さんもまいったのか、自宅でこんなに暴れてもらってはかなわん、と熊野神社境内へと移植したとされている。 柳川市:
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