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尖閣が、江戸時代初期から無主地だった決定的な資料、発見!【西村幸祐放送局】
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2013/2/12
2013/2/12 14:54
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昨年から積極的に歴史事実を提示し、尖閣諸島が清の時代から日本領であったことを実証している漢文学が専門の石井准教授の最新の研究成果を紹介する。
今年1月21日、石井准教授は長崎で記者会見を行い、明の時代に支那人は尖閣海域を明の領海外だと考えていた決定的な資料を『皇明実録』の中で発見した。
石井准教授の記者会見を伝えた産経新聞
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/624014/
石井准教授の記者会見を伝えた読売新聞
http://megalodon.jp/2013-0121-1809-37/www.yomiuri.co.jp/national/news/20130121-OYT1T00687.htm
石井准教授の記者会見を伝えたDaily Yomiuri(英文読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/dy/national/T130122003523.htm
http://megalodon.jp/2013-0129-0047-16/www.yomiuri.co.jp/dy/national/T130122003523.htm
しかし、今回の発表はそれを上回る研究成果だ。すでに元和2年(1616)に、日本人が大陸から40キロに位置する東湧島を、明の境界に入っていない場所であると認識していた事実が『湘西紀行』(曹學・ニンベンに全・ソウ・ガクセン著)の中で発見された。
東湧島は大陸から南西諸島、琉球への航路の入口に位置し、当然、尖閣は東湧島より遥か日本側にある。『湘西紀行』は福建史の重要資料の一つとされ、これで中国共産党の嘘は200%論破された。
なぜなら、第二次大戦後のサンフランシスコ講和条約で、日清戦争後に日本となった領土の帰属を放棄したことで、尖閣は清の時代は支那の領土とする中国共産党の主張が完全に崩壊するからだ。サンフランシスコ講和条約の解釈でも支那は国際法を無視した乱暴な主張を昨年の連合国(国連)総会で述べていた。今回の石井准教授の発見で、仮に万が一、支那の主張が正しいとしても、それでも完全に根拠が崩されたということである。
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