戦国乱世まだたけなわの1542年12月26日、現在の暦で1543年の今日、三河岡崎城主松平広忠の長男として 家康は誕生しました。
当時松平氏は東の今川義元、西の織田信秀に三河をくるみ割りにされ滅亡の危機に瀕していました。
そして、この危機を打開するために今川氏の支援を受けて織田氏と対決しようとしていた広忠は、家康を駿府に人質として差し出されなければなりませんでした。
まだ六歳で竹千代と呼ばれていた頃、家康はそれから足かけ十二年の不遇な生活を余儀なくされました。
亡くなったのは1616年5月22日。
鯛の天ぷらによる食中毒説が有力とも言われていましたが、日付があわないらしく、今は胃がんで亡くなったという説があります。