今回扱うのは、百十五段。
前半から紹介すると…
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中(うち)に、いろをし坊と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かく宣ふは誰(た)ぞ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師、なにがしと申しし人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。
『徒然草』に人生訓のようなものを求めている人は、まず引用しない段。
「ぼろぼろ」とは、無宿者、ならず者、ゴロツキの類の者たちのこと。
その無頼そのもののエピソードを紹介し、彼らの性格などについても決して快く思っていない様子の兼好なのだが、最後に好感を寄せているような一言を添えて締めくくっている。それはなぜか?