今回扱うのは、第百二十八段。
冒頭を一部紹介すると…
雅房大納言は、才賢く、善き人にて、大將にもなさばやと思しける頃、院の近習なる人、「只今、淺ましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を切り侍りつるを、中垣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、にくくおぼしめして、日ごろの御氣色も違(たが)ひ、昇進もしたまはざりけり。
動物に対しても、どんな小さなもの、弱き者、愚かな者にも、小さきもの、弱き者、愚かな者だからこそ情けを掛けなければならない。
元・武士であったことの片鱗をうかがわせる場面も時々見せる兼好だが、ここではまさに法師らしい慈悲の心を語る。
そして、このような境地に至ったからこそ武士を捨てたのではないかとも思わせる一段。