戦争の行方を決定的に左右するのは「資源」の差。
日米の間には比べようもない資源の差があり、そもそも開戦すること自体が無謀だった。
そのことは日米開戦の4か月前・昭和16年8月に「総力戦研究所」が行ったシミュレーションでも明らかだったが、結局は楽観論に押し切られて開戦に至り、その後はシミュレーション通りの道を歩むこととなってしまった。
そして戦争末期、いよいよ燃料事情が逼迫してきた海軍がその活路を見出そうとしたのは「松根油」。
松の根っこから取れる油を使おうということで大増産の号令がかけられ、松の根を大量採掘、文字通り「根こそぎ」にしようという国策が実行されようとしたのだった。
日本が資源においてどこまで追い詰められていたかを示す、隠れた逸話。