これは、どんな悪夢だ。
どうかこれは、夢であってほしい。そう、願うことしかできない。
何故、私の胸の中で愛する人が命を失っているのか。
何故、私の腕の中であたたかな光が失われていくのか。
理解ができない。理解したくない。理解できない。
あまりの惨劇に、私は空を見る。
空には弧月が輝いている。しかし、それ以上に恐ろしいものが舞い散り、輝いている。
――火花
木片や水滴を弾き燻らせる音を立てながら、私達の周りの花畑を囲いこんで浸食している。
私もこの中で、と。嫌な想像が頭に巡る。
「ねえ、起きてよ」
私は脱力した恋人の身体をゆする。恋人の胸には深々と短刀が刺さっている。これを抜かない限り、心臓は動きを始められないが、抜いた瞬間に赤が飛び散るだろう。
ああ、私は大切なものを喪ったのだ。
やっと理解し始めた。それでもまだ信じられない。
これは迷夢なんじゃないのか。
まだそんなことを思っている。
どんどんと炎は浸食していく。
それなのに私は動けない。この人を置いていくわけにはいかない。
この人を置いていくくらいなら、私は、いっそ。
轟――
音が大きくなって、一層、火の粉が空を舞う。
もう助けを乞うだけの気持ちは残っていない。
でも、恋人は言ったのだ。
私に「生きろ」と。
どうして、と問うても、あなたは笑うだけだった。きっと、この終わりをわかっていたのだ。
私は、あなたを喪った世界で生きていけるだろうか。
そんな運命を、受け入れられるだろうか。
泣き疲れてしまった。私は、もう、泣くのをやめたくなってきた。けれど、心の奥から涙が溢れて止まらないのだ。
子供のようだ、と、自分でも思う。まるで、己の楽園を壊された子供のようだと。
俯けば、あなたの顔が目に入る。
仰向けば、紅い夜空が目に入る。
どちらを見ても、地獄だった。
何も見たくない。
そう思って、目を閉じた。
とくん。
心音が響く。私は、生きているのだ。まだ生きているのだ。
生きるというのは残酷だ。嫌な運命を背負っていかなくてはならないから。
どうせ、生きなければならないのなら、こんな記憶たちをここに棄てていってしまえたら。
そう思っても、実行なんてできるはずがない。
あなたとの思い出は、この脳髄に染み渡り、抜けようものなら私はからっぽになってしまうから。
「ねえ、起きてよ」
涙が枯れかけ、声もしゃがれて。それでも、私は諦めることができなかった。
どんどんと、恋人は冷たくなっていく。甲冑の隙間から、命が零れ落ちていく。
また私の瞳から、涙が零れ落ちていく。どれだけ、私が涙を流しても、恋人の命を埋めることはできない。
どれくらい、時間が経っただろうか。
私がふと、上を向いたとき。
一滴の雫が私の顔に落ちた。
朝つゆが、私の肌を濡らしたのだ。
気が付けば、朝が来ていた。
一晩中、泣き明かして。それなのにまだ、未練がましく恋人を抱きしめている。
桜が、そばにあることに気が付いた。紅い花ばかりだと思っていたが、それは炎のせいで、実際は薄紅の花も舞っていたらしい。
幹は少し焦げている。枝も、じりりと傷んでいる。
けれど、凛と立つことをやめていない。
「私も――」
そっと、恋人のことを腕から下ろした。桜の樹の下に、寝かせる。
短刀を抜き捨てても、もう赤色は流れださなかった。私が着けていたペンダントを握らせて、少しの間、祈る。
どうか、この人にも安寧を。
私は歩き出す。
弱々しい足取り。だが、一歩ずつ、歩く。
兎角、歩き出さなければならない。
私はここに――二度と、帰れない。
原作 金森璋「幽庵」
Produce 残響レコードボカロ制作部
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