「白波」
私はある日、青い青い海を見下ろす。その海の底に、誰か優しい人影を見た。
「ああ、素敵な人だなぁ」
そう思った時には、もう遅かった。空の精霊は、紺碧の溟海に堕ちてしまったのだった。
海に沈んでいく身体を、止めることができない。どうしようもなく、堕ちていく。
果ての空、自分が帰るべき場所は遠く、青く、澄んでいる。どこまでも綺麗で、青い。どうして堕ちてしまったのか、何故こんな場所にいるのか。わからない。ひとつわかるのは、私の心の中に、不思議な気持ちがひとつ、産まれてしまったということだけだ。
足元の波。足元の波は、寄せては反し波を折っている。奇麗だけれど、青空と白雲に似ているけれど、どちらとも違う。やはり、海原と白波なのだ。
海月というものには骨がない。もしもあったとしても、こんな風にゆらゆらと気ままに水の流れに浮いている生き物の骨など、在って無いようなものだ。こんな、曖昧なものでさえ確認したくなる。
在っても無くても同じなら、確認なんかしなくてもいいじゃないか。
なのに、れに惹かれてしまう。
そう、私の気持ちにも。
ああ、疾れ! その人と相見えるその場所まで。あの人の心など、知ったことではない。私の、この気持ちが何なのか知りたいのだ。
あの人がどんな顔をしていようとも、私の気持ちを知っているはずに違いない。
だが……私の心を、代弁してはくれなかった。
ありとあらゆる言葉が頭の中で、まるで足元に拡がる海のように広がっている。この言葉の海の中から、私の心を、探す。
海の上でも、青嵐は立つ。懐かしい心地に、少し考え事をしてしまう。あの空の向こうには、私が望んだ暮らしがあったのだろうか。本当に、空の上にいることだけが幸せだったのだろうか。
もしも、あの人と永遠を暮らせるのであれば?
それはきっと、幸せなことなのではないだろうか。
わからない。わからない。わからない。
海の底には、鳥なんていない。当然だ。私がこんな気持ちを持つことさえも、それくらいにありえないことだ。私は、乙女でなければならない。身も、心も
空に捧げなくてはならないのだから。
それなのに、そんな「ありえない」感情に、惹かれ合っていく。
いや――疾れ! あの人に巡り合ってしまった運命に、意味なんて要らない。必要ない。何故なら、私のこの気持ちにも意味なんてないからだ。
意味がないものに、振り回されてたまるものか。だから、あの人を追い立てて名前を教えてもらおうじゃないか。
雷の落ちるようなこの気持ちには、まだ、名前などない。
その日、あの人に会うことはできなかった。
それだけですごく、すごく苦しい。息ができない。空の上のような、軽やかな呼吸ができない。海の中だということを差し引いても、ひどく胸が痛い。
生と死の狭間の海を漂えば、泡沫のように消えてしまえるだろうか。どうせなら、消えてしまいたい。だって、この気持ちはとても苦しい。こんな気持ちなど、どこかへやってしまえばいい。そうだ。どこか、知らない場所へ、仕舞ってしまえ。
滄海の、遺珠になってしまえ――
――いいや、そんなのは嫌だ、疾れ!
巡り合ったんだ、こんな運命に意味など要らない、ならば、意味があっても良いじゃないか。
この、雷のように降ってきた気持ちに名前を付けよう。この人ならば、名付けてくれるに違いない。
――疾れ! あの人のもとまで。再び相見えれば、あの人の顔はすっかり笑顔になっていた。私も、つられて笑う。
この人の心の中なんて、知らなくてもいい。きっと同じ感情を持っているはずだから。
「この気持ちは何ていうの」
「それはね、〈あい〉という気持ちだよ」
ああ、そうか。私はそんなの、とっくに知っていた。
この不思議な心の色は――藍の色、だ。
Produce 残響レコードボカロ制作部
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