今回扱うのは、第百四十一段。
冒頭を紹介すると…
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそいひつることは頼まるれ。都の人は言受けのみよくて、實なし。」といひしを、
東国の武士であった尭蓮上人のもとを訪れた郷里の人が、「東国の人は言ったことは守るから信頼できるが、京の人は口先だけで約束を守らない」と言った。
それに対して尭蓮上人は、自分も最初はそう思ったが、長く住んでいるうちにそうとも言い切れないと思うようになったと答える。
その理由を聞いて、兼好法師は尭蓮上人を大きく評価する。
そうは言ってもやっぱり京都の人は難しいという、高森師範の痛い体験談もついてます!