今回扱うのは、第百九十六段。
前半部分を紹介すると…
東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮より歸座のとき、源氏の公卿參られけるに、この殿大將(たいしゃう)にて、先を追はれけるを、土御門相國、「社頭にて警蹕いかゞはべるべからむ。」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候。」とばかり答へ給ひけり。
前段の百九十五段にも登場する、久我通基内大臣の逸話。
最初に出てくる「東大寺」は石清水八幡宮の誤り。
この時代の「神輿(しんよ)」とはいまのお神輿(みこし)とは性格が異なるものなのだが、これを移動させる際、これに伴う神事について通基と別の貴族、土御門相國定實公の間で意見が分かれた。
当時の貴族の教養や、神についての観念などがうかがえる、興味深い一段。