大嘗祭と言えば新天皇即位の宮中儀礼として知られてますが、実は新嘗祭(大嘗祭)が天皇即位の年の11月に行われるようになったのは平安時代の桓武天皇の時代からで意外と歴史が浅く、しかも、大嘗祭=天皇即位儀式としたのは中国(唐)の皇帝即位儀礼である冬至の郊祀(こうし)を真似たものだったのです。
そもそも(文献で確実に行われたと確認できる範囲だと)大嘗祭が新嘗祭として行われるようになったのは奈良時代の天武天皇の頃からだとされますが、この大嘗祭(当時は天皇即位儀礼ではなかった)も天日槍来日時代に新羅より伝わったとされる天の羽衣伝説から来ており、その伝説のように天皇が羽衣を来て沐浴すし(天羽衣伝説と同様)、その後地方で採れた新米を食する、という儀礼は、朝廷儀礼の中国化を進めた桓武天皇の時代に即位儀礼として今日に至ります。
しかしながら、嵯峨天皇より明治の前まで途絶えることなく続いた真言密教による荼枳尼天即位灌頂に比べ、この践祚(せんそ)大嘗祭も室町時代から江戸時代に至る240年間の中断があったり、伊勢神宮の式年遷宮も120年以上の中断があったりと、皇室自体がこうした儀礼に強い興味を示していなかった(真言密教一筋だった)ことが窺われます。