熊野信仰は、奈良時代の新羅より伝わった雑密(未完成の呪術的密教)と平安時代以降の浄土信仰(一遍の時宗の融通念仏思想)と天台宗寺門派(三井寺)から成る「贖罪の国」「死の国」熊野から成っています。
華厳経や法華経に説かれた補陀落渡海(ほだらくとかい)と言って、小舟に30日分の食料を積み、念仏を唱えながら極楽浄土に辿り着くことを願って永遠の船旅に出る、つまり、水上自殺の聖地として那智は名所となっていました。
熊野三社(本宮・速玉新宮・那智)の熊野権現は古事記には出てこない仏教の神様で、こうした背景の中、時宗(時衆)の巡礼者たちが減罪を求めて「蟻の熊野」という紀州を通って熊野にいたる熊野古道の難所を越えて行きます。
ユネスコ世界遺産に指定された熊野三社や熊野古道はまさに日本の精神文化の神髄と言っても過言ではありません。
「神道」(国家神道のこと)とはまったく無関係な真の日本の精神文化の髄に触れられる場所がこの熊野です。
今回は熊野信仰の基本構造についてお話をし、次回はその肉付けのお話をしようと思ってます。