1960年に諏訪湖の北方に位置する塩尻市の大門神社で銅鐸が発見されるまでは諏訪信仰のミシャグジ神(洩矢<もりや>神)は縄文信仰だろうと考えられていたのですが、この銅鐸出土以降、諏訪信仰が中国江南地方より朝鮮半島や日本列島に大量移民してきた倭人、つまり弥生人の持ち込んだ陰陽五行説や社稷思想(穀物信仰)に基づくものだと認識されるようになりました。
諏訪信仰は、弥生系のミシャグジ信仰と、朝鮮半島(新羅)から移民してきたスサノオ族(出雲族)の諏訪への侵攻(侵略)から発する建御名方(タケノミナカタ)神信仰の陰陽五行説を通じた合体から成り、その原始諏訪信仰を継ぐ「諏訪氏」というのは、ミシャクジ(洩矢神)系の守矢氏(諏訪大社上社・神長官)と大祝(おおほおり)家と言われる建御名方系の神(じん)氏と金刺(かんざし)氏から成ります。
この両者(守矢氏VS神・金刺氏)は今日でも御柱(おんばしら)祭などの主導権をめぐって正統性の確執がありますが、今日でも中心的な祭祀で6年に一度ごと遷宮の代わりに四柱を諏訪大社(上社の前宮と本宮・下社の春宮と秋宮)をそれぞれ計4×4=16本、大木を伐採し、急な坂を男たちが乗って下って行くという危険な神事(過去に死亡者複数有)を行っています。