日本で最初の山岳信仰が始まったのは、671年に役小角が葛城山に登り、蔵王権現という神様を感得(インスピレーションで頭の中に現れること)し、桜の木で蔵王権現を掘って葛城山に祀ったところから始まると言われています。
山そのものに対する畏敬のような原始信仰は日本を含め世界中ありとあらゆるところにあった(むしろ無いところを探すほうが大変w)わけですが、単純な自然信仰としての山信仰の時代は人々が山に登るということはなかったのですが、日本で6世紀頃から朝鮮半島(新羅)から伝わった雑密(ぞうみつ)と呼ばれる初期の密教は不動明王や孔雀明王の呪術の法に基づきながら山に登り山岳修行の道を開いて行きます。
7世紀後半に役小角が葛城山に登るり、蔵王権現という祭神が成立すると、その蔵王権現山岳信仰は全国へ広がり、日本の山岳信仰は雑密の優婆塞(在家の僧侶)たちによって普及します。
9世紀になり真言密教が伝わり、真言僧の聖宝が醍醐寺(三宝院)を根本道場として吉野修験の建設に乗り出して行き、朝廷からの援助も後押しして、吉野は真言密教の修験の場となり、吉野は両部神道(真言密教系神道)で言うところの「金剛界」(熊野は「胎蔵界」)とされ、蔵王権現は「金剛蔵王権現」と称されるようになり、それは今日にまで至ることになります。