三宝荒神は「荒神さま」と呼ばれて現在でも竈の神として関西を中心に各地で祀られてますが、もともと三宝荒神の三宝とは仏教三宝の仏法・仏僧・仏経典のことですが、歴史を遡ると7世紀の役小角(雑密私度僧)が感得し、それがやがて仏教の菩薩・天部・道教神・陰陽道などと習合し、平安時代になると道教陰陽五行から発生した庚申信仰と習合し、障礙の神様(禍起こすが、禍を転じれば大きなご利益になる)として民間で広く信仰されるようになりました。
三宝荒神は八百万の神信仰全体の中で1割強(12~13パーセント)を占めると言われてますので(庚申信仰はもっと広範に広がる)、八百万の神の中ではかなり大きな存在だと言えます。
江戸時代になると、竈の神、火の神という側面が強調されるようになり、当時高まってた国学の機運の中、古事記に出てくる火の神のカグツチに比定されたりしましたが、これは後世の事で、もともと民衆の間にカグツチ信仰があったわけではありません。
前回放送しきれなかった、神楽・田楽・延年・柱松・権現舞などについても説明します。