六郷満山は以前の「宇佐八幡宮」の放送の際にも若干触れてはいましたが、これだけ素晴らしい仏教伝統の色濃く残る文化をあれだけで終わってしまうのはあまりにももったいなく思い、今回は六郷満山だけを取り上げ、【前編】で宇佐八幡との関係史を、【中編】【後編】で六郷満山の多くの天台寺院を取り上げて行きたいと思っております。
六郷満山の寺社は、ほとんどが天台系であり、寺院はいうまでもなく、数少なく存在する神社も中世から近世に比叡山天台宗の山王神道や天台宗寺門派(聖護院門跡)の熊野修験の影響を強く受けており、祀られてる神のほとんどは出雲系であり、現在でも祭祀などは天台寺院の傘下にあります。
六郷満山も、恐山や秋葉、愛宕、石鎚、鞍馬山などと同様にそれまでの地元の仏教や修験道の信仰が強すぎて明治の神仏分離策で神社神道化(神社神道は明治期に創設された)に完全に失敗した一つの例とも言えます。