日本の山岳信仰のほとんどには役小角による開山伝承があるのですが、なぜか東北地方には役小角伝承が無い地域があり、それは、その地域を奈良時代中期頃まで蝦夷が支配しており、そこが朝廷軍によって占領されてから朝廷の旧蝦夷支配地域の宗教政策(啓蒙化政策)として天台宗の僧侶たちを(朝廷が天皇の勅令などで)送り込んで開山した例がいくつかあります(例・箱根山、早池峰山、岩木山など)。
華厳宗の僧と言われた勝道は、下野国(栃木県)の薬師寺で、鑑真の弟子のイラン系ゾルド人僧の如意僧都から受戒を受け、正式な僧侶となった後、二荒山(ふたらさん>現在の日光山)の登頂を目指してその麓に四本龍寺(現・輪王寺>天台宗)を創建し、二度の登頂失敗の後、782年(延暦元年)3月、三度目の登頂を試みてついに成功し、その後、三山に神が宿るとし、三つの祠を作り、仏の加護に預かれるようにと祈願します。
その三つの祠が、天台宗(比叡山)が進出してから二荒山三社権現(現・二荒山神社)となり、輪王寺との本地垂迹関係を形成します。
勝道が日光山登頂を目指した時期は、ちょうど朝廷軍と蝦夷軍の戦いの最前線が日光山(二荒山)の麓のあたりで、朝廷や寺院による勝道登頂支援やその後の天台宗の進出も朝廷による宗教政策(縄文系の蝦夷の文化を破壊して朝廷の仏教信仰で啓蒙しようとする政策)の一環としても見られます。