箱根山信仰と言えば、今も昔も変わらないのが芦ノ湖に住むと言われる9つの頭を持つ
九頭龍という毒龍を調伏して箱根山の守護神と変えた万巻上人の伝承です。
箱根信仰の歴史を伝える書物は主に3つの古書で、それは、
①筥根山縁起并序(ならびしょ)(建久二年(1191)
②箱根権現縁起絵巻(「天正十年」(1582))
③新編相模国風土記(天保12年(1841年)に昌平坂学問所にて書かれた)
の三書なのですが、
①は、紀元前5世紀に仙人によって箱根山が開山され、8世紀中期になって朝廷から派遣された南都六宗の僧侶・万巻により男躰(なんたい)・法躰(ほうたい)・女躰(にょたい)から成る箱根山三所権現という神を感得し、これを祀ることにより箱根山信仰は成立したとするものですが、ここに万巻上人よる芦ノ湖の九頭龍を調伏した説話が出てきます。
②は、戦国時代に書かれた完全なる仏教説話的な箱根三所権現の成立を語る小説風書物で、
③は、明治元年から16年前の幕末に国学者(昌平坂学問所)たちによって書かれた風土記で、それまでまったく縁も所縁もなかった古事記の神々(ニニギ・ホオリ・コノハナサクヤヒメ)を強引に箱根三所権現に当て嵌め比定したものです。
箱根三所権現の信仰の中心は萬福寺金剛院という新義真言宗(真言宗智山派)の寺院でしたが、三所権現思想や九頭龍伝承は、万巻の時代に白山の泰澄からの影響が考えられます。(三所権現形式自体は天台宗聖護院<天台宗寺門派>が自らの支配する熊野で開発し、白山を筆頭に全国に展開したものですが、箱根山では聖護院の勢力の足跡は見られませんから)
明治になると、政府により信仰の中心であった真言宗の萬福寺金剛院は破壊され、その地に「箱根山神社」という神社が建てたれ今日に至ってますが、ただ、その箱根神社の社伝にさえ今でも万巻上人による三所権現感得や九頭龍調伏の伝承は書かれており、信仰自体は今も昔も変わっていません。