12世紀に入ると真言宗化した東大寺は、平家による焼き討ちの後の復興事業で活躍した東大寺衆徒の重源(ちょうげん)(浄土宗ながら真言宗の影響強く受ける)による伊勢神宮参宮をひきりにそれまで仏教禁忌であった伊勢神宮参詣(参宮)が急速に盛んになり、神宮側もその動きを歓迎し、既に敬虔な仏教徒なっていた神宮宮司の大中臣氏、外宮禰宜の渡会氏、内宮禰宜の荒木田氏はこぞって神宮のみならず自らの菩提寺にも僧侶たちを招いて大般若経をあげさせていました。
さらに元寇の時代になると朝廷と仏教勢力(主に真言宗)との繋がりは緊密化し、朝廷が元寇調伏のために200人以上の真言僧を伊勢神宮に派遣して調伏祈願までさせるようになります。